中村妙唱

中村妙唱は私の母です
大正12年信州に生まれました
いろいろな事情で結婚できないまま3人の子供を生みました。
今とは時代も違います・・私たちを育てるために、上京しました。
まだ25歳だったそうです・・口では言えないほどの苦労をした事だろうと思います。

娘の私が言うのもおかしいことですがアジア系の不思議な魅力のある女性でした
激しい性格で泣くのも怒るのも喜ぶのも一直線の激しい女性でした。
あっちにぶつかりこっちに悩み母は60歳で出家・・日蓮宗に帰依・・得度し名を”妙唱”と代えました。

出家後は信州の実家に戻り仏に仕える日々を送る事になりました
おしゃれでいつもきれいに化粧していた母が作衣に身を包み法前にぬかずき読経する姿は私たちにとってにわかには信じられないほど驚きの出来事でした。
母の母・・祖母は死ぬまで母の出家を認めませんでした。
でも母は身は墨染めの衣に包まれてはいても頭の先から足の先まで女性でした。
激しく生くさくどこから見ても中身は煩悩の塊のように思えました
それが私にはたまらなく嫌で母の前に行くと素直に慣れずよく喧嘩をしました。
でも本当は幼いころ私たちを手元で育てることが出来ず寂しい思いをさせてしまったという子供への贖罪に苦しみ 又 己の心の中にある尽きない煩悩に涙する。・・・それが母だったのでした。

2005年妙唱は仏様の下に逝きました
母のみは献体に処されいまだ私たちの元に戻されていません。

母の一生が幸せだったか不幸だったかは今では母にしか答えられないかもしれません
でも私の心に在る母は不思議と笑顔です。


生きている時には親孝行何一つ出来無かった。
本当は大好きでした・・好きで好きで・・・・大好きな母でした。
昔・・・私にとって母はお月様でした
預けられていた子供のころ悲しい事があるといつも月を見て”かあちゃん”と語り掛けました。そうするといつも月の中に母の笑い顔が浮かんで、私を元気つけてくれました

千の風になって””・・・そう母は今 風になっています
お母さんごめんなさい・・会いたいです・・会ってもっともっといっぱい語りたい・・・
そんな気持ちで母の部屋を作ります

妙唱句集

春を詠む1

春を詠む2

秋を読む

煩悩

母の手紙